永遠のおでかけ
ここのところ、と言っても
もはや2週間程が経過してしまうのだけれど。
コンタクトレンズを入れた視野がボヤけたり
何だか違和感が続いていたので、
パートナーに子ども達を託せる夜を選び
終業の後で八重洲の眼科へ足を運んだ。
ヤエチカで夕食を摂っていると
自宅が停電とのパートナーからのメール。
どうやら雷の影響らしい。
ジタバタしても始まらない。
台風一過での遅延対策として、通勤バッグの中に
2冊ほど本を忍ばせていたのを幸いとして
上野駅からの帰途、本を読むことに費やした。
何気なく、図書館で手にして借りてきた本だけれど
『永遠のおでかけ』とは、著者の父の死とその前後のエッセイ。
思いがけなく、2月に旅立った父とのあれこれを思い出しつつ
取手駅に着くまでに読み終えてしまった。
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実は、少し前に気付いたのだけれど
定期を入れているカードケースの中に
半分に折りたたまれた5000円札が入っている。
確か、1月半ばに帰省した時だったか。
父がいつも、こっそりと私に手渡してくれた
「汽車賃」という名の、おこづかい。
社会人になっても、結婚して子どもを産んでからも
続いていたそれは、元々は1万円だったけれど
父の晩年には5000円となっていた。
「いや、そういうつもりで帰ってくるわけじゃないし」
「私だって、少なからず働いて収入を得ているんだから」
。。。そんなことを言って、一旦は遠慮していたけれど
いつからか有難く受け取ることにした、おこづかい。
“ もう、父からのおこづかいは、もらえないんだな ”
そんなことを改めて思ってみたのが、つい先日。
あの日も、たぶん帰途に就く直前だとか
或いは皆が起き出す直前だとかの、僅かな時間
父と2人きりになった時に、手渡してくれたはず。
そして、私はお礼もそこそこに受け取って
カードケースにしまったのだろう。
父は、『また、次の機会』があることを
当たり前のように思っていたことだろう。
私が、“ これが家での父を見る最後かも ” と
予感していたなど、知る由もないだろう。
永遠のおでかけ へと、旅立ってしまった父。
『汽車賃』として使うことが出来ない紙幣は
これまでも、これからも、使えないままで。。。
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