消えてしまいたいキモチ
最後に思ったのは、何年前のことだったか…
自己肯定感が低く、「自分なんて生きている意味がない」
「何かをしたら誰かに迷惑をかけてしまう」と考え
相手の目を見て話しをすることさえも、良いのか
やはり良くないのか迷うような生活を送っていた頃が
私にも、あった。
「自ら死を選ぶくらいなら、せめて誰かの役に立ちたい」
「死の痛み・苦しみと比べたら、たぶんマシだろう」と
そんな思いもあって(他にも理由があるけれど)始めた献血。
それから、骨髄バンクのドナー登録。
基本的には、純粋な『誰かのため』ではなくて
『自分のため』がキッカケの、痛みを伴う諸々。
今でこそ、人前に立って話をしたり
自信たっぷりに振舞うことも出来るようになったけれど
<消えてしまいたいキモチ>は、当時確かに存在していて。
そして、それは、完全に無くなったわけではなくて
現在の日常に溢れる 喜び や 幸せ の、蔭のところに
当たり前に在ることも、私は知っている。
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<消えてしまいたいキモチ>が完全に自分の周りを覆うと
何も見えなく、感じられなくなってしまうから
それまで大切にしていた何もかもを放り出して
突き進んでしまったりするのだけれど。
最期の、本当に最期の瞬間に思い出しちゃったりするのよね。
「〇〇に申し訳ないな」とか、「△△が中途半端でごめんなさい」
或いは自分をそんな状況に追い込んだ(と感じる)誰かのこと
何かのこととか。
脳がフル回転して走馬灯が廻るからなのかな。
一気に色々なことが思い出されたり、湧き起ったりするけど
もうその時には、やり直しがきかない状態だったりして。
だから、そんな想いだけが
その場所に残り続けてしまい、
あとで幽霊騒ぎになったりする。
当事者に、怖がらせたい気持ちなんて無くてもね。
その場所の記憶に焼き付いてしまったりする。
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<消えてしまいたいキモチ>が、むくむくと表れたら…
そんな時に私がやっていたのは、<仮に消えてみる>ことだった。
どこか安全な場所(一人暮らししていたから家のことが多かった)に
ゴロンと倒れこんで、目を閉じるか半眼程度に開いた状態で
呼吸も静かに、出来るだけ音を立てないように。
<消えてしまった>状態と仮定してだから、動かない。
その状態だと、脳も機能していないわけだから考えることも
もちろん何かを思うこともしない。
どこかが痒くなったりしても、やっぱり脳が機能していないと
仮定するから、掻かない(脳の指令が手足に届かないからね)。
途中で眠ることは仕方がないにしても
目が覚めても、そのまま。動かないままで過ごす。
最長でも24時間も持たなかったな。。。
<消えてしまった>状態の、あまりの退屈さに感情が動き
思考が働き始めて、「とりあえず、トイレ行こう」とか
「とりあえず、何か食べよう」って。
最後に<消えてしまった>状態を仮定して実行してから
もう20年以上は経つんじゃないかと思うけれど
今にして思えば、あれはマインドフルネスの状態を
知らず知らずのうちに作り出していたんだなぁ~、と。
脳を休ませ、心と身体を休ませていた
非常に有効な手段だったのだなぁ~、と。
自分の直観に従った行動を褒めてあげたい気分だけれど。
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土曜日に、<消えてしまいたいキモチ>を実行して
本当に<消えてしま>われた方への哀悼の意を込めながら。
アナタは私のことを、当然知らなかったと思うけれど
私はアナタに、生きていてほしかったです。
特別にファンだったとか、そういったことではないけれど
アナタの演技をもう見られないと思うと
やはり寂しい気持ちがあります。
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