コロナ報道と子育てと(意思決定論アプローチ)
「人生は意思決定の連続」だと言っているのは、
意思決定論のアプローチでも有名なジェラット氏。
予測して、それに価値を与えて
自分の価値基準と照合して、判断するための
情報収集の仕方を考えて、情報収集して改めて予測。
その予測に対して、また価値を与えて価値基準と照合し
仮決定を作った上で、また判断のための情報を収集して…
この繰り返しの中で最終決定を出して、という流れ。
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コロナ感染者数が連日増加しているとメディアで騒ぎ立て、
その情報を得た人たちが不安に陥る連日。
重要なのは、「感染者がいまどういった健康状態で」
「重篤者がいる場合、それはどのようなバックグラウンドがあり」
「軽症者にはどういった傾向が見られ何に気を付けているか」等
具体的な傾向と対応する為の策を打つことであるにも関わらず、
それらについては不思議なほどに情報が出てこない。
少なくともビジネスの世界では当たり前のハナシでしょう?
「こういった数値が出ています!だから無理です」
「こんな結果になっています!だから出来ます」
いまのメディアは、そういった報道をしているに過ぎない。
本来であれば通用しない感情論も、メディア発信であればむしろ
『感情に訴えかけたほうが視聴率に反映される』ことを解っているから。
それは同時に『本当の情報を自ら探して異を唱える人が少ない』ことをも
先方がきちんと知っているから、いとも簡単に成立してしまう。
(そして思惑通り、それに踊らされてしまう人達がいて
時に度を越した自粛警察のような暴走が発生したりする)
仕方がないとも思う。
少なくとも日本では、その辺りの教育はなされておらず
上に立つものが右と言えば右に倣い、黒を白と言えばそれに倣い
情報や常識を疑ってみるということは愚の骨頂として教えられてきた。
もちろん私自身もそうだったし、親になって思うのは
「そのほうが都合が良く、手間も面倒も少なくて済む」ということ。
決まりだから。
ルールだから。
みんなそうしているから。
それが当たり前だから。
自分の言い分だけを通そうとするのはワガママだよ。
子どもの自由な発想や思い付き、彼ら自身の中で懸命に集めた情報と
それらから導き出された答え(結果)に対し、大人の常識で対応するのは
失礼極まりないし、それではメディア発信と同じじゃないかとも思う。
相手を尊重していない。
子どもを尊重しない子育てをする大人達が
自分達を尊重しない他人に踊らされる構図って、滑稽じゃないか?
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大人は出せるだけの情報を全て出したうえで
子ども達の判断及び意思決定の後押しをする必要があるし
子どもが情報を求めてこないようであれば、情報を求められる
環境設定・状況設定を図る必要があるように思う。
選択肢は多いと迷う原因にもなりがちだが、
判断を繰り返すうちにより正解に近づく。
シナプスが強化されていく。
そして、その教育の積み重ねが必要且つ重要なのは
子ども達がいずれ大人になり、社会の担い手になった時に
発揮されるか否かで、また私達自身に還ってくるからだ。
この国に、還ってくるからだ。
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