共鳴
父の一周忌法要を終えた先週末の夜。。。
子ども達と一緒に、両親が使っていた(現在は母のみで使用している)
ベッド脇に敷いた布団に横になり、ムスメのとりとめもない話に付き合いつつ、
ムスコの呼吸音が穏やかになっていくのを感じていた時のこと。
ビーーーーーー!
静寂を破るように、ベッドの枕元に置いている照明付き時計が
賑やかなアラーム音を響かせた。
“朝の5時にセットしてあったはずだけど、子ども達がイタズラした?”
“そうだとしても、夜の時間に設定するためには相当ボタンを
長押ししなければならないはず。もしかしたら。。。”
瞬間的に色々なことに考えを巡らせてから、時刻を再度確認する…21時31分。
ボタンを押してアラームを止めてから、設定されていた時刻を確認すると、
やはり朝の5時となっている。
お正月に帰省した時にも開くはずのないCDデッキのフタが
触れもしないのに開いたりしていたのだが、今回も物理的に
説明のつかない状態が、心当たりのある時間帯に私と子ども達の前で起きている。
“やっぱりそうか。。。”
確信めいたものを持ってから、何事かと起き上がっている子ども達に
少し待っていてほしい旨を伝え、母に報告すべく階下へと降りた。
•*¨*•.¸¸☆*・゚•*¨*•.¸¸☆*・゚•*¨*•.¸¸☆*・゚
話が昨年に遡るが、母から父が肺炎の疑いで救急搬送されたとの
LINEが入ったのは1月26日土曜日の昼前のことだった。
通常、特段の予定が入っていない土曜日は、朝から子ども達を連れて
食材の買い出しに行き、昼前後で帰宅をする。
その日も11時半過ぎに帰宅して、車を降りる前に何げなくLINEを確認した際、
母からのLINE――父が前夜21時過ぎに緊急搬送されたという内容の文言――を、
目にしたのだった。
•*¨*•.¸¸☆*・゚•*¨*•.¸¸☆*・゚•*¨*•.¸¸☆*・゚
「去年、パパが搬送されたのって21時過ぎって言ってたよね。
これくらいの時間じゃなかった?」
「そうねぇ・・・21時過ぎに具合が悪くなって救急車を呼んだから、
家を出たのがこれくらいだったかしら」
「やっぱり? たぶん、さっきパパが来たんだと思うよ」
2階の寝室で起きたことと次第を母に伝え、お仏壇に向かって
「もう!ビックリするから、そういうことしちゃダメ!(笑)」と
声をかけてから、子ども達が待つ寝室へと足を向けたのだが。。。
父は、帰りたかったのだろう。
肺炎と腎不全を併発し半ば意識を失った状態で母に発見されて搬送された父は、
まさかそのまま家に戻れなくなるなんて思ってもみなかったのだろう。
その2週間前に、少し遅めのお正月帰省で私が実家に戻った際、“もしかしたら、
これが実家での父を見る最後になるかもしれない”と感じて行動したことなども、
父は知る由もなかったはずだ。
父が旅立つことになった、その当日でさえ。。。
私が何を感じ、何を思って、突如の帰省を思い立ったかなど知る由もなかったはずだ。
おおよその人がそうであるように、最期のその瞬間まで。
もしかしたらその瞬間でさえも、判らなかっただろうし、
或いは解りたくはなかったのだろうとも思う。
もっと、もっと、生きたかったのだろうと思う。
日曜の夜から翌朝にかけて、そんなことに思いを巡らせながら過ごしたせいか。
はたまた気圧の急激な変化のせいか、週明けの月曜日は結構な疲労感と共に
スタートすることになってしまった。
物言わぬ者との共鳴は、意思疎通の出来る人との共鳴と比べると、
とんでもないエネルギーを使うものだと、、、
そんなことを久しぶりに感じた。
0コメント