子どもの話と傾聴姿勢と

特に予定を定めていない、土曜日の朝。
私が起きだして間もなく動き出すムスコから
夢で見た話を50分ほど。。。

普段は何気なくやってしまう諸々を
ちょっと意識してみようと思っているこの頃。

「〇〇さぁ、ゆめでレッドにのったらさぁ~」
「ほう、レッドに乗ったんだ?」
「そう! レッドにのったの。これがいちばんこわそうだったんだ」
「なんと! 1番恐そうだったから乗ったんだね?」
「だってねぇ、レッドとイエローと、むらさきとブルーがあったけど
 レッドは、ほのおで、きけんせいぶつもいっぱいだったんだよ!」
「危険生物もいるの!? それはかなり恐そうだねぇ・・・」

5歳になったばかりの彼が話す夢の話は
私には見えない。
私自身が子どもの頃に行った、那須ハイランドパークの記憶から
色毎にスリル度合いが変わるジェットコースターのイメージだけれど
彼自身の中に浮かぶものが、それと同じかは判らない。

でも、傾聴の基本は『聞きたいことを聞かない』。
「これって、こういうこと?」
「それって、こんなことだよね?」
そういった問いかけで、阻害しないこと。

話を聞いている側が自分のイメージに近づけたいのは
自分自身が、相手の見ているものと同じものと思いたいから。
同じものを見ていると感じて、安心したいから。
でも、それが確信に近い状況でなければ
話し手の話の腰を折ってしまうことになり兼ねない。

「レッドはねぇ、ほのおだからあついんだよ」
「熱いんだ!? どれくらい熱いの?」
「すっごくあつい。たいようよりあついんだよ」
「うわ、そんなに熱いの? お風呂くらいかと思ってたよ」
「ほのおだからね。それが、おいかけてくるの」
「追いかけてくるの? 〇〇のことを?」
「そう! めっちゃあつくてねぇ、ごぉぉぉってしてねぇ・・・」

母には、彼が見ている世界は、まだ見えない。
でも彼自身は、夢でVAKを駆使して見た世界を
いま、改めてVAKで言葉にし、そしてまた再現している。

子どもの語彙力や表現力って、こういったところから
育っていくものなのだろうなぁと。
想像し、そこから創造していく力って、こんな関わりから
広がっていくものなのだろうなぁって。


以前、働くお母さんからの相談で
『平日フルタイムで働いているから、子どもの学力が心配』
『子どもの習い事を週末に組むと、家族の時間が持てない』
・・・といったものがあった。

その時は、自分自身の経験だったり知識的な部分で応対したけれど
母になった今、その応対で間違っていなかったんだなぁと。
大切なのは、子どもの話をよく聞き、必要に応じて触れ合い
表情と心を観察して受け止めること。
彼ら、彼女らが自ら獲得していく諸々を邪魔せずに
伸びやかな成長を見守ること。


「あ! そろそろ、なにかはじまるはず!」

7時前になって、慌ててリビングに駆け出していったムスコは
私がよく解っていないテレビリモコンの操作を行い
いまは大好きなEテレの番組を視聴中・・・

ついさっきまで、私の大腿の上に
ダンゴムシのように丸まって話を聞かせてくれていたのに
母はすっかり、置いてけぼり。
ムスコが温めていた大腿が寒い(´;ω;`)


結局、レッドが何だったのかは判らない。
でも、まぁ、本人が満足するまで話を聴けたし
私自身もカウンセリングの基本の振り返りが出来たし
連休初日としては、良いスタートだな🍀

M'sRoom へ、ようこそ

人材会社で働きつつ、キャリアコンサルタントの富山翠としてお仕事しています。

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